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(CNN) オーストラリアのターンブル首相は2日、「ナイト」と「デイム」の称号について、時代遅れと判断して授与を廃止すると発表した。
政府の発表によると、閣議でも「ナイトとデイムは現代の褒章制度にそぐわない」との認識で一致した。オーストラリア勲章からナイトとデイムを外すことについては、女王も了承していると説明。既に授与された称号には影響は及ばないとしている。
ナイトなどの称号は労働党のホーク政権時代に廃止されたが、アボット前首相が昨年、28年ぶりに復活させ、今年1月には英女王の夫フィリップ殿下に授与。これに対して国民からは、称号はオーストラリア国民に授与すべきだとして反発が強まった。
今回の決定には共和制を支持するターンブル首相の姿勢が反映されており、立憲君主制から共和制への移行を巡る論議が再燃している。
アボット前首相は立憲君主制を支持していたが、その前任のギラード元首相は共和制への移行を支持。エリザベス女王の引退が移行の契機になるだろうと述べていた。
昨年のこの時期の勢いがウソのように失速しているのが俳優の斎藤工(34)だ。
昨年は7月クールに放送されたフジテレビ系の連ドラ「昼顔~平日午後3時の恋人たち~」で主演の上戸彩の不倫相手を演じ一気に大ブレーク。上戸とのベッドシーンの印象が強烈で、おまけに躊躇せずに脱いで肉体美を披露するため、いつの間にか“セクシー俳優”の称号まで獲得したほどだ。
同ドラマ出演後はCMのオファーが殺到したが、実はブレークの背景にはあるからくりが存在するという。
「斎藤が所属する事務所は小規模ですが、大手芸能プロの幹部が斎藤の素質に惚れ込み、業務提携を結んでこれでもかというぐらい猛プッシュ。その結果、大ブレークにつながったのです」(芸能プロ関係者)
とはいえ、その勢いも徐々に昨年末から衰えを見せ、「11月から放送されたNHKの主演ドラマ『ダークスーツ』は最終回の視聴率が2・8%で全話中、最低を記録。満を持して臨んだ今年4月クールの連ドラ初主演作『医師たちの恋愛事情』(フジ系)も平均視聴率は1ケタに低迷しました」(芸能ライター)。
先日放送された、篠原涼子主演の連ドラ「オトナ女子」の初回にはゲスト出演。篠原演じるキャリアウーマンの恋人の売れないミュージシャン役で、篠原の自宅に居候。にもかかわらず、そこに女を連れ込んで破局というサイテーな男を演じた。
「本人は自分は主役の器ではなく、脇役でこそ光るというのがわかっているはずです」(ドラマ関係者)
来年1月クールは有栖川有栖の人気小説「臨床犯罪学者 火村英生の推理」シリーズのドラマ版に主人公で犯罪学者の火村英生役で主演。荷が重くなければいいが。
引用:昨年の勢いどこへ? 斎藤工「大ブレークと急失速」のカラクリ
アンドリー・シェフチェンコにフィリッポ・インザーギ、パオロ・マルディーニにアレッサンドロ・コスタクルタ、そしてズラタン・イブラヒモヴィッチにアントニオ・カッサーノ、マリオ・バロテッリまで、遠藤友則氏から次々に明かされるエピソードはミラニスタでなくとも、興味深いもの。その遠藤氏が16年もの間、日々勤めながら考えたことや感じたこと、疑問に思ったことは数えきれないほどあった。
調子がよくないミランとシニシャ・ミハイロヴィッチ監督体制の現在について「イタリアは監督が変わったら、ごろっと変わっちゃうからね。この間、ミラネッロに行ったけど、びっくりした。ジムが全く変わった」と驚きを隠せなかった。元同僚や関係者の話でも、それが賛否両論だという。あまりの激変ぶりに関係者もついていけていないのではないか、という複雑な事情もあるようだ。遠藤氏が所属した1999年から昨シーズン末までは、チャンピオンズーグ優勝などの黄金時代から欧州カッブの出場権をも得られない衰退期までのミランだった。
チームには数人のマッサージ師がいる。「誰でもいい」というこだわりのない選手もいれば、数人はそれぞれお気に入りのマッサージ師をご指名する。「シェフチェンコにしてもカッサーノ、イブラにしても“コイツにしか診させない”というのがある。そのコイツを取るのに戦いになる」と苦笑い。「だから僕なんかも去年、(サリー)ムンタリと(ナイジェル)デ・ヨングと(ディエゴ)ロペスともめて。誰が最初に診てもらうか、とか」とマッサージ師争奪戦争に巻き込まれていた。
生まれつき体のバランスがよかった選手は「けがしなかった選手はみんなそうだろね」と同氏。その中でも「コスタクルタは小さいけがや肉離れ、グローインペイン症候群、腰痛を常にフォローしていた。インザーギは細いのに身体能力がある。運動能力が高かった。弟もサッカー選手だったわけでしょ? だから遺伝子は持っているんですよ」と振り返った。カッサーノも同氏を信頼していた。また現役最後にミランからフィオレンティーナに移籍したマッシモ・アンブロジーニ氏も、フィレンツェに遠藤氏を呼んでマッサージを依頼していたという。
そして「バロテッリはお尻が大きいからグローインペインになってしまう。お尻が硬いと前が緊張してしまう。細い選手はそういうのはあまりなく、バランスが崩れない。筋力ががっちりしている選手の方がある」。同氏は力強さとスピード・サッカーへの筋力トレーニングの過度ぶりに疑問を抱く。結果的にはミラン側のドクターら首脳陣とのトレーニング方法の見解の相違から、クラブを離れることになったのだった。そして次世代のマッサージ師育成と、日本のサッカー選手の将来という次のステップに踏み出すべく、イタリアを離れたのだった。
文=赤星敬子
【遠藤友則(えんどう・とものり)氏】1961年4月20日生まれ。静岡(旧清水)市出身。サッカーをしていた高校3年生の時、ひざを痛め、当時の川鉄千葉病院(現在の千葉メディカルセンター)で手術を受け、その後、大学時代に夜間学校での鍼、灸、マッサージについて勉強する。卒業後、千葉市の鍋島整形外科に勤務後、独立する。Jリーグ開幕から清水エスパルスのチーフトレーナーとなる。ミランから移籍してきたマッサーロ氏に腕を見込まれ、1999年にミラノへ。2015年6月末までメディカルトレーナーとして所属した。現在は鍋島整形外科に戻り、日本のスポーツ医学の発展や高校サッカーの育成、Jリーグへの橋渡しなど多分野にわたって活動している。
SOCCER KING
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引用:日本人マッサージ師・遠藤友則氏が経験したミランの現場とは/連載第2回
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